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記念碑名: 猿払電話中継所跡
住所: 北海道宗谷郡猿払村浜猿払
場所: 浜猿払港 北西約300m
訪問日: 2022/9


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右側から

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猿払電話中継所跡

昭和9年(1934)12月11日、北海道と樺太を海底ケーブルで結ぶ東京一札幌一豊原間の長距離電話回線が完成し、初めて樺太と電話が通じるようになりました。
猿払電話中継所は、この海底ケーブル揚陸地の重要中継所として、同年11月1日この地に設置され、以来30年間大きな役割を果 たしてきましたが、終戦後樺太との通話がなくなり、また札幌一稚内間マイクロ回線の開通により、その必要性がなくなり、昭和39年(1964)9月30日廃所されたものであります。


裏面
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昭和40年10月建立 猿払村


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樺太との電気通信ゆかりの地


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裏面は...ちょっと読み取れませんでした。

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埋設されていた海底ケーブルのサンプルが展示されていました。

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裏側から

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宗谷海峡に布設された海底ケーブルの詳細
  ケーブル名      線種        線長(海里) 布設年月日
1 宗谷海峡 話2号   4心平等装荷(GP)  94.174   1943年11月
2  ”   電信1号  1心電信ケーブル   105.895   1937年10月
3      信2号   1心平等装荷(GP)  99.751   1945年6月
4      信1号   1心平等装荷(GP)  95.820   1943年11月
       話1号   同心型パラガッタ  87.882   1934年9月


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この標石の下を海底ケーブルが通っていたようです。

ケーブルサンプルの後方左に設置されていた標石
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このマンホールの中に収められている海底ケーブルの海側の標石の下を通って樺太(サハリン)にのびていた

と書かれています。

一番左の記念碑
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皆さん
 これが最後です
     さようなら
       さようなら

昭和二十年八月十五日終戦。それから五日後の昭和二十年八月二十日
ソ連軍が樺太(サハリン)真岡上陸を開始しようとした。
その時突如日本軍との戦いが始った。
この日電話交換手である九人の乙女達は窓越しに見る砲弾のさく烈。
戦火と化した真岡の街、刻々と迫る身の危険。もうこれまでと決断、死
の交換台に向い「皆さん これが最後です さようなら さようなら」
の言葉を残し夢多き若き尊い花の命を絶ち職に殉じた。この思いを繋い
だのが当時電気通信の拠点として重要な役割を果していた「猿払電話
中継所」なのです。

私達は猿払ライオンズクラブ設立二十周年にあたり、殉職した
九人の乙女の霊を鎮め、また電気通信ゆかりの地に電気通信の功績を
顕彰すると共に世界の恒久平和を祈り、この碑を建立する。

 平成十八年十二月十日
   猿払ライオンズクラブ 二十一代会長 鳥谷部 徹雄
寄贈 猿払ライオンズクラブ

稚内にある「九人の乙女の像」と同じ内容が書かれた記念碑です。
地図には、ホルムスク(真岡)、ネベリスク(本斗)、ユジノサハリンスク(豊原)、コルサコフ(大泊)、プリゴロドノエ(女麗)、オジョルスキー(長浜)といった樺太の地名、そしてアニワ湾を経由している海底電話ケーブル、稚内市、猿払村浜猿払といった日本側の地名が書かれていました。